人生辛いことも無駄はないと思える時

「人生無駄なことは何もない」


この言葉を聞くこと、考えること、感じることはふとした時にありませんか?
今回は無駄なことはないと思えることでも「辛い経験」すらも無駄じゃないというお話です。

とある日、相談を聴く私の聴き方スタイルについて夫と話をしていました。
私のキャリアコンサルティングは相談される方が、お話を聴いて私が受け取ったメッセージや感情をお伝えしながら自己理解を深めていただいたり、提案やアドバイスも必ずご自身で実行可能かを考えて、行動変容に繋げていただくことを心がけています。

もう少しイメージをお伝えすると、話を聴いた私の返答から相談者が
「今の話で、相手はそう受け取ったんだ~。」
→「ちゃんとわかってもらえた」あるいは「ちょっと違うから別の言い方で伝えてみよう」
→「自分のことだけど客観的に聴くと、あれ?なんで私そう思ったんだろう?」
といったように、ご自身の口から話をして、私が返して客観的に聴くことで気づきを得ていただくようなイメージです。

その受け取ったお話をお伝えする際、「~といったように受け取ったんですが、いかがでしょう?」と聞くことがあります。
そんな私のスタイルを夫に話した時、こんな言葉が返ってきました。

「人によっては「どうですか?」と聞き返すと人によっては自信がないと捉えられてしまいそうなんだけど、
君の場合は自信のなさからくる確認というよりは、捉えるポイントはしっかり捉えつつの確認という風な感じ。
抑圧的な環境にいて常に相手の顔色をうかがいながら会話をしていた過去があるから、バシッと言い切ることが苦手で確認しないといられないのかもしれないけど、そこにキャリアコンサルタントのスキルが加わったりして君の面談の強みになっているのかもしれないと思ったよ。」

この話を聴いてハッとしたのです。
私にとっては過去の辛い経験でしかなかった、そう捉えることしかできなかった経験。
それが時を経て自分の強みとして活かされているとは、これっぽっちも考えてもみませんでした。
でも、この話にはひどく腹落ち感と、納得感、そして解放感があったのです。

「人生に無駄なことは何もない」
といいますが、辛いと思っていた経験すら無駄がなく、糧になり、やがて強みとして発揮されることもあるんだと初めて感じた瞬間です。
きっとそれも自分らしさの一部になっています。

辛いと思っている時には、到底そんな風にその経験を捉えることはできないと思いますが、少しでもそのネガティブな経験がどのように自分の糧になっているのか、なっていけそうなのか、活かせるのかという視点でその経験している自分を考えてみることができると、良さそうですね。